昭和20年(1945年)第2次世界大戦終結・・・、それに伴い日本軍の主要軍事施設はアメリカ軍に接収される。。。
広島湾を挟んで隣にある岩国飛行場もその際に接収され、現在に至るまでアメリカ軍極東戦略の重要な施設になっています。
また時代を遡り、昭和25年(1950年)南北朝鮮の対立により朝鮮戦争勃発。韓国を連合国軍として支援していたアメリカ軍も日本に進駐していた部隊のいくらかを派兵している。岩国飛行場からも多くのアメリカ軍人が戦地へ向って送られて行ったでしょう。
このブログで取り上げているインディアンスカウト741は先のオーナーが岩国の進駐軍から買ったと云われていました。その買われた経緯として、私の確かでは無い微かな記憶に「朝鮮戦争」と云う言葉が婦人の口からあった様に思います。岩国に進駐していたアメリカ兵は、戦争に赴く為に売る事になったのか、戦争によって本国に戻る事になり売る事になったのか・・・。
このバイクの履歴を表す自動車検査証(車検証)には、昭和27年7月7日とあります。恐らくこれが初年度登録の年月日だと思いますが、昭和25年から始まり28年で終結した朝鮮戦争の真っ只中なのです。オーナーはお亡くなりになれているので実際にどのような経緯で買われる事になったのかは今では分かりませんが、婦人の発した朝鮮戦争と云う言葉や車検証の初年度登録の日付などを見ると色々な事を想像せずにはいられません。
婦人のお宅を訪問した数日後、何冊かのインディアンに関する洋書を買ったり、専門のショップに聞いてみたりと自分なりにインディアンについて勉強をしてみました。
初めて見た時に感じた「小さいバイク」と云う事も調べて納得できました。スカウト741と云うモデルは排気量30.50ci(500cc)の小排気量ミリタリーモデルだったのです。どうりで見慣れたベビーツイン(45ci=750cc)より小さく見えたはずです。
今思えば何と云う事も無いこんな事も知り得た事自体が嬉しくて婦人に電話して伝えました。その電話で次に伺う日にちを決め再訪することになりました。
そもそも婦人が電話をしてこられた経緯は、テレビのニュースでハーレーダビットソンが取り上げられての事でした。そのニュースでガレージに眠っていたインディアンを思い出されたのです。
先に伺った時に、婦人の思い出話と目の前にあるバイクに対して自分の知識の無さに打ちのめされて帰ったのですが、2回目の訪問になる今回はこちらにも引き取る決意が出来ています。社長も同行して2人で伺いました。
前回通して頂いたリビングに今回も同じ様に・・・、ん?私は何か違う感じをもちましたが社長とそのまま椅子に座りました。調べて来た事を一通り話し、引き取らせて頂く金額なども話しました。婦人は金額の事にはさほど触れられず、主人が亡くなって10年以上経った事での気持ちなど話してくれたように思います。亡き主人が大事にされていたインディアンと云うバイクを手放し整理する事を決意されていました。
そんな話でやり取りをして、出して頂いた紅茶に口をつけながら背にしていた窓にふと目をやると・・・、普通の家には無い物が・・・、プールがあったのです。社長と2人でひたすら感心しきり、プールの話題でその場の空気が和んだ様に覚えています。
暫くして、話題が変わった事でバイクをガレージから出す事に。いつもの様にテキパキとバイクを積込み社長と2人で婦人に挨拶をしました。
帰る間際に婦人の口から、
「バイクを直して走れる様になったら、見せに来てね。後ろに乗せてくれるかしら。」っと。
「分かりました。必ず見せに来ます。後ろに乗って下さい。」私だったか、社長だったか2人ともだったか婦人に返しました。
あれから約7年半の歳月が過ぎ、遂に新しいオーナーの元へインディアンが旅立ちます。
あの時インディアンを見ながら婦人と交わした約束が遂に果たせる時が来ます。初年度登録、昭和27年(1953年)当時婦人はこのインディアンを見ていたのでしょうか、亡き主人と見ていたとすればどの様に感じたのでしょうか。
想い出は大事な人・物と共に残ります。大事な想い出のそばには必ず想い出の品があります。
婦人にとってこのインディアンはどの様な物だったのでしょう。
生まれ代わったインディアンを目の前にした時、私に旧い写真を見せながら語ってくれたあの笑顔が甦るでしょうか。
あの時の約束があの時の笑顔と共に。。。